『ロング・グッドバイ』レイモンド・チャンドラー著、村上春樹訳
朗読だとわかりにくいところもあったので文庫本も購入しました。
オーディブルの朗読メインで、黙読も加えつつ読了。
早乙女太一氏の素敵ボイスのおかげもあり、聞き応えがありました。
ネタバレのないよう、他文学作品の作品内引用について書いてみたいと思います。
あらすじ(裏表紙より)
私立探偵のフィリップ・マーロウは、億万長者のシルヴィアの夫テリー・レノックスと知り合う。有り余る富に囲まれていながら、男はどこか暗い蔭を宿していた。何度か会って杯を重ねるうち、互いに友情を覚え始めた二人。しかし、やがてレノックスは妻殺しの容疑をかけられ自殺を遂げてしまう。が、その裏には悲しくも奥深い真相が隠されていた……。
他の文学作品との関係
作中にはいくつかの文学作品への言及があります。
古典引用の他、時事ネタとして扱われているものも。
トーマス・スターンズ・エリオット
彼は微笑んだ。「これは『J・アルフレッド・プルフロックの愛の歌』の一節です。ほかにもあります。『部屋の中では女たちが行き来していた/ミケランジェロの話をしながら』。これはどのようなこと示唆しているのでしょう?」
「そうだね――それを書いた男は、女というものをわかっていない、ということを示唆している。私が思うに」
こちらはT・S・エリオットの詩だそうです。
1948年にノーベル文学賞を受賞したアメリカ出身のイギリスの詩人で、『荒野』が有名とのこと。
『ロング・グッドバイ』が1953年刊行なので、時事ネタになりますね。
グスタフ・フロベール
「(略)自然にすらすら湧き出てくるものがあればこそ、作品は良いものになる。作家については多くが書かれているが、それが本当のところさ。もし逆のことが書かれていたら、そいつは嘘っぱちだ」
「作家にもよるんじゃないですか」と私は言った。「フロベールはずいぶん苦しんで書いたが、作品は立派だ」
「わかった」とウェイドは言って、カウチの上に身を起こした。「君はフロベールを読んでいる。ということは、知性があり、文学に精通し、一家言ある人間だということになる」、彼は額をさすった。
ちなみにどこかの誰かが『感情教育』のフローベールを、幼稚園の創始者である教育者フレーベルと間違えた時の記事はこちらです。
アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ
「だいたいそのヘミングウェイって誰なんだ?」
「おんなじことを何度も何度も繰り返して言うやつだ。そのうちにそれは素晴らしいことなんだと、こっちも考えるようになる」
『さようなら、愛しい人』
これは先日読んだ『フィリップ・マーロウの教える生き方』からの引用です。
アーネスト・ミラー・ヘミングウェイは1899~1961年、レイモンド・チャンドラーは1888年~1959年なので、チャンドラーが年上とは言え、ほぼ同年代に活躍したの作家になります。
ちなみに「ある刺激に触れれば触れるほど,それを好きになっていく現象」を心理学では単純接触効果というそうです。
宮脇孝雄著『洋書天国へようこそ~深読みモダンクラシックス』によると、ヘミングウェイの晩年は、他の文学者とあまり良い関係を築いていなかったようで、『グレートギャッツビー』のF・スコット・フィッツジェラルドや、『すばらしい新世界』のオルダス・ハクスリーを冷淡に書いているようです。
同時代の同じ「ハードボイルド」と称された文学者。
ヘミングウェイとチャンドラーはお互いどう思っていたのでしょう。
ひと言
いやもう早乙女太一さん朗読、ここにつきるのではないかと。
ただ、チャンドラーの文章自体が朗読に向いてないかもしれないと思いました。
カギかっこのセリフがつながっているところが多いのです。
そんなところは誰が何をしゃべっているかよくわからなくなるのですね。
まぁでもイケメンがイケボでマーロウというだけでなんとなく豊かな気持ちになるわたくしでございました。