Yet I alive!『ペストの記憶 100分de名著テキスト』武田将明著(2020年初版)
デフォーtheモンスター!
書かれたペストについても怖かったのですが、それよりもデフォー自身の混沌とした怪物的生命力がギラギラと輝いていました。
”Yet I alive!”「それでもぼくは生きている!」と。
【著者プロフィール】
武田将明(たけだ・まさあき)
英文学者、東京大学准教授。
1974年、東京都生まれ。
専門は18世紀イギリス小説。
東京大学大学院人文科学系研究科を得て、ケンブリッジ大学でPh.Dを取得。
現在、東京大学総合文化研究科準教授。
2008年に「囲われない批評 東浩紀と中原昌也」で第51回群像新人文化賞評論部門を受賞し、日本の現代文学についても批評活動を繰り広げている。(100分de名著より)
【『ペストの記憶 100分で名著テキスト』の概要】
このテキストではデフォー『ペストの記憶』を4回に分け、それぞれのテーマで読み解いています。
第1回は「パンデミックにどう向き合うか?」。
第2回は「生命か、生計か?究極の選択」。
第3回は「管理社会vs市民の自由」。
第4回は「記録すること、記憶すること」。
テキストには筆者が近年撮影したロンドンの写真も多数掲載されています。
【面白かったところ】
〈デフォーtheモンスター〉
ダニエル・デフォーと言えば『ロビンソン・クルーソー』、18世紀イギリスのジャーナリストであり小説家です。
しかし経歴を読むと、小説は、むしろ彼の71年の長い人生の最後十余年に花を添えたのみ、という印象を拭えません。
現代では1人分の業績とは到底信じられないことをしています。
メインの活動はカルヴァン派プロテスタントのジャーナリストです。
『生粋(きっすい)のイギリス人』、『非国教徒処理の近道』などの政治パンフレットを出版。
イギリス商業、貿易の策や商人道徳、宗教問題について論じました。
一番おどろいたのはスパイ活動です。
ウィキペディアと日本大百科全書によると、デフォーはのちのイギリス首相であるロバート・ハーリーの情報係として、スコットランドとイングランドの統一に一躍買ったと書かれています。
他には商人としての顔があります。
靴下商人、ジャコウネコの商売に投資、レンガとタイルの工場を運営などの経済活動を営んでいました。
潜水鐘という金属の鐘形潜水用具を使い、難破船から宝物をサルヴェージするという、盗賊まがいのあやしい事業にも投資していました。
生涯に何回も破産して投獄*1。
私生活では、1684年に樽商人の娘メアリー=タフリーと結婚し2男6女を儲けています。
怪物的なバイタリティにあふれた活動履歴です。
ちなみにアメリカで著作権の切れた世界の名作を無償で提供してくれるプロジェクトグーテンベルク*2
からデフォーの書いた『ロビンソン・クルーソー』、『モル・フランダーズ』、政治パンフレットなどの原文が無料配布されています。
試しに『生粋のイギリス人』をダウンロードしてみました。
多少ぎこちない文章ですが(昔と比べたらずっと自然ですが)読むことが出来ました。
〈デフォーとウェーバー〉
20世紀初期にマックス・ウェーバーというドイツの思想家がいました。*4
ウェーバーが著作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(略して『プロ論』)でデフォーと『ロビンソン・クルーソー』について言及しています。
『プロ論』の要旨は「近代資本主義の合理的生活態度はキリスト教的禁欲の精神から生れ出た」というものです。
その変化の様子を、ジョン・バニアン『天路歴程』*5のクリスチャンから、デフォー『ロビンソン・クルーソー』のロビンソンに例えています。*6
カルヴァン派プロテスタントは、神から見放されないよう孤独に天職に勤めていくうちに、布教もしつつお金も儲ける合理性を身に着けていくのです。
敬虔な神の信者でありながら(当時のカトリックの価値観では卑賎な)商業に熱心に励む。
ロビンソン・クルーソーというよりは、まさにデフォーのそのものだと私は思いました。
脱線しますが、私は高校の政治経済(倫理だったかな?)の先生は面白くて変わった方でした。
教科書に載っていなかった『プロ論』を授業で教えてくれたのです。
今思うと、こんな難しかったんですね。
高校生だった私にもわかりやすく教えてくれた、実力のある先生だったのだなあと思いました。
〈フライデー不憫〉
『ロビンソン・クルーソー』には、無人島での28年におよぶサバイバル生活を描いた第1部『ロビンソン・クルーソーの生涯と奇しくも驚くべき冒険』と、その後を描いた2部『ロビンソン・クルーソーのさらなる冒険』と3部『真面目な省察』があります。
第1部において、フライデーは孤独を癒す良き友として描かれているように見られます。
ですが第2部の後半の初めの方でフライデーあっさり死亡。
しかも「かわいそうな正直者のフライデー!」とひと言書かれているだけでその後一切フライデーの記述無しだそうです。
フライデーは当時の価値観では未開地原住民の奴隷。
ロビンソン・クルーソーやデフォーや同時代の読者にとってはモノと一緒だったのかもしれません。
ただ、もしかしたらロビンソン・クルーソーを理性的で合理的な人間に書くためにわざと書かなかったのかな?と思ったり。
28年連れ添った何かを失くしたら相当に悲しいと思うので、当時の読者も寂しく思ったんじゃないでしょうか。
そこを表現のためにあえて削除するデフォー。
超クール。
ほんと、フライデーの回想シーンくらいあってもよくない?
ちなみにウィキペディアによると『ロビンソン・クルーソー』の正式名称は『自分以外の全員が犠牲になった難破で岸辺に投げ出され、アメリカの浜辺、オルーノクという大河の河口近くの無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に海賊船に助けられたヨーク出身の船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述』だそうです。
今のラノベタイトルっぽいですね。
〈ラストの詩がかっこいい〉
『ペストの記憶』もこのテキストも、ラストは主人公H.F.の書いた詩で締めくくられています。
あんまり上手な出来ではないそうですが、生命力にあふれていてやはりデフォー自身を想起させます。
A dreadful plague in London was
In the year sixty-five, which swept an handred thousand souls
Away, yet I alive!
H.F.
時は千六百六十五年
恐怖のペスト、ロンドンを襲う
消された命はざっと十万
それでもぼくは生きている!
H.F.
上記の翻訳は筆者の訳です。
1973年に出版された平井正穂訳の詩は最後が『されどわれ生きながらえてあり』。
武田訳の方が生き残った複雑な思いと大きな喜びが感じられて気に入っています。
清濁あわせのむ混沌としたデフォー自身が、ペストの怖さより印象的だというお話でした。
ちなみにこちらで『ペストの記憶』の地図を配布されています。
印刷するとわかりやすいのでおすすめです。
デフォー『ペストの記憶』(研究社)を読まれる方へ。本書の初めに、資料として当時のロンドンの地図が載っています。ただ、項目があまりに多く、特定の街路・建物を見つけるのが難しいため、座標つきの地図をウェブ上にアップしました。次のリンク先の右端をご覧ください。https://t.co/NQcLYpJ1IZ
— 武田将明/Masaaki Takeda (@swiftiana) 2020年4月20日
*1:当時破産者は罪人として投獄されたそうです。
*2:
マイケル・S・ハートが1971年に始めた、著作者の死後一定期間が経過して著作権が消失した作品全文をデジタル化してネット上で無償公開する計画。岡倉天心『茶の本』、新渡戸稲造『武士道』などが英文で読めます。これの日本版が「青空文庫」です。
*3:
プロジェクトグーテンベルクのデフォーのページのリンク。
無料で原文を読める。
*4:そういえば今年は没後100年だそうで、岩波新書と中公新書からどちらもウェーバーの本が出版されていました。彼の死因は、新型コロナウィルス以前に世界的パンデミックを起こした「スペイン風邪」による肺炎だそうです。
*5:ジョン・バニアンはイギリスの教会で神の教えを説く説教者であり、寓意物語(アレゴリー、物事を暗示的に表現する方法)作家。『天路歴程』は彼の書いた代表的な寓意物語。主人公のクリスチャン(基督者とも訳される)が「虚栄の市」や奈落の王「アポルオン」との死闘を経て神の国に至るお話。世界中のプロテスタントに広く読まれている本だそうです。
*6:ウェーバーは同時代のダブリン大学教授、英文学史学者のエドワード・ダウデン言葉からの引用として『ロビンソン・クルーソー』に触れています。18世紀当時のカルヴァン派プロテスタントを知る上でデフォーは重要人物だったようです。ちなみにダウデンの『Puritan and Anglican』(ピューリタンと英国教会信者)はAmazonのkindleで読めます。
Puritan and Anglican, Studies in Literature (English Edition)
- 作者:Dowden, Edward
- 発売日: 2016/06/12
- メディア: Kindle版